2019年9月1日日曜日

死という不条理

個々人は寿命がありますが、人類は、文字や記憶により、永続的な「歴史」という、不死の寿命を持ちます。そして、個々人は、学習により、その歴史を学び、各人の心には、外界としての、永続的な「世界」及びその一部としての自己意識を持つことになります。

自分は、世界の一部でありながら、世界は永続する、一方自分は、寿命があり消滅する、これは不条理ではないでしょうか。死を素直に受け入れることができない、その根底には、この不条理感があるのではないでしょうか。

この不条理を受け入れるためには、次のように考えて諦めるしかありません。そもそも生物としてのヒトが、人間になることができたのは、「心」を獲得したからであり、死の不条理感はその代償なのです。

人間に特有の死への恐れ、それは、生命活動に不要な欠陥であるといいましたが、それは、人間になった代償として諦めるしかないのでしょうか。もぅすこし考えたいと思います。

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