2019年9月6日金曜日

死の悲しみ

人間特有の死の恐れについて、色々話してきました。話が多岐にわたっているので、中間的整理をすると、まず、死の疎外感とそれに対置する思考として、幸福追求の権利を話しました。次に死の不条理感、これに対置する思考として、魂は、肉体の僕であり、魂は不滅ではない、という考えを話しました。

次に死の悲しみについて、話します。身内や愛する人を失う悲しみは、激しいもので、これも、人間特有でしょう。当事者である本人は、そういった悲しみの中心点に位置するわけですから、大きい悲しみは避けられないでしょう。

前にも話したように、下等動物でも、原初的心を持っているのであり、その意味で、快、不快、や原初的喜びがあるでしょうし、次第に高等になるにつれ、それらは、深くなるでしょう。特に犬や象など群れを成す動物は、豊かな感情を持つでしょう。しかし、人間の感情は、それらとは、比較にならないくらい大きいものです。それは、ヒトが人間になる過程で、他者と通じ合う心を獲得するからです。人間は、肉体こそ別々ですが、心は、つながっているのです。仲がいいとか悪いとかに関係なく、人間は、同一言語、同一思考様式、同一文化、を共有しています。その結合の度合いは、身近な人同士であればあるほど、大きいでしょう。それが、死によって引き裂かれるとき、血こそ流れませんが、目に見えない血が流れるような、苦痛を伴うのは、進化の過程で、人間が、通じ合う心を獲得した、必然の結果でといえます。私たちは、死の悲しみを少しでも減らすためにできることはあるでしょうか。

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