心が何なというのか、自然科学ではまだわかっていません、すると、心の終焉であるかもしれない死も又、それが何なのか分からない、というのは、当然のことでしょう。自然科学や近代的思考を尊重するひとでも、肉体の消滅とともに、心も消滅する、と割り切ることができない人は沢山いるかもしれません。自然科学が、心の研究について、ほとんど無力なのは、「観測できないものは、科学の対象になりえない」という、それ自体は正しい、経験則、哲学があるからです。
私は、科学のこうした限界を超える試みとして、情報とは何か、を長い間、考えてきました。情報もまた、観測できない、不可思議なものです。それが何かわかれば、心についても、何かわかるだろうと考えてきました。⇒生物と情報
情報と生物に基づいた、心に関する私の見解は、次の通りです。
脳を持たない、ミミズや単細胞生物でも、情報を獲得できる。それは意味的外界を持つということであり、こうした下等な生物でも、主体的行動が可能であり、その限りで、原初的心を持つ。従って、心は、脳の専売特許ではない。多細胞生物の中心である脳は、体細胞集団の司令塔ではなく、逆に体細胞集団の僕(しもべ)である。
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