2019年9月7日土曜日

死は生のリマインダー

生物としてのヒトは、長い進化の過程で、他者と通じ合う心を獲得し、その人間らしい心を豊かに発展させてきました。人間は、社会的動物です。言語、思考、文化など、深く心的結合をしているという点で、他の生物とは根本的に異なります。

死は、こうした結合の断裂をもたらします。断裂が苦痛なのは、結合があるからです。その意味で、死の悲しみは、ヒトが人間になったことの、必然的結果であり、代償といえます。それを避ける方法はないでしょう。その意味で、私が、冒頭に申し上げた通り、死の悲しみは、生物としての個体保存とは関係がない、なのに、人間に多大な苦悩をもたらすという意味で、本当はない方がいい、欠陥のある感情なのでしょうか。

愛する人を失う悲しみは、愛する喜びと裏腹です。自分がこの世とおさらばする悲しみは、人生の素晴らしさと裏腹です。どちらか一方だけを切り離すことはできません。セットなのです。それは、次の例えからも明らかだと思います。

仮に医薬の発達により、悲しみを忘れさせる妙薬が発明されたとします。人は、最愛の人を失った時、その悲しみを忘れるために、その薬を飲むでしょうか。もし、その薬が悲しみから解放されたとすると、その時、その人は、最愛の人に対する愛をも忘れたことになるのではないでしょうか。だから、そんな薬は飲まないでしょう。

死の悲しみは、人生の素晴らしさとセットである。

死は、生のすばらしさを思い出させてくれるもの、つまりリマインダー(reminder)なのではないでしょうか。死があるからこそ、生が輝くのではないでしょうか。

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