現在、社会は、死を、内在的なものとして、受け入れず、外在化する傾向があるといいました。勝手な独断を更に言わせてもらうと、例えば江戸時代には、死は内在化されていたように思います。どういう意味でしょう。
例えば、江戸時代でも、沢山の「不治の病」がありました。寝たきりの病人もいたでしょう。医療も未発達だったでしょう。しかし、現在と大きく異なる点があります。それは、江戸時代は、多くが、家族農業など、家族営業であり、賃金労働者ではありません。又祖父母、多くの子供等、大家族でした。近くには、親族もいます。そうした中では、寝たきりの病人の世話をする場合、個々人の負担は、その分軽減するでしょう。病人は、そうした家族に囲まれて生活することで、病苦の中にも、自分の「生活」を持続し、それなりに幸福追求の余地があったのではないでしょうか。社会が、死を内在化するという意味は、社会が死を受け入れる余力を持つ、そういう意味です。死は日常と共存することで、死にゆく者と生者の間に、心のバリアーはなくなるでしょう。そして、死にゆく人の疎外感は、著しく改善するのではないでしょうか。
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